INTERVIEW WITH PEOPLE
Someone who fills the void with light.
熊谷峻のスタジオは、彼の故郷である秋田県秋田市、駅からほど近い住宅街の一角にある。同じくガラス作家である妻の境田さんとシェアするスタジオは、季節の草木が目に楽しい庭に面し、自然光の美しいガラス張りの空間だ。ここで日々の制作は行われる。 彼の作品は、蝋で作った形を石膏型に起こし、そこにガラスを溶かし入れる鋳造という手法で製作される。手捻りで作られる形はどこか歪で、それが不思議な存在感を生み出している。古道具や骨董品、文献などからインスパイアされることも多いという作品は、さまざまな国の古いものを少しづつ混ぜ合わせたような形をしている。 1000℃の窯の中で起こるガラスの対流や変化が、陶芸の窯変のように作品に表情を生み出す。ガラスを技術的にコントロールしながら、土と金属で自分自身も予期せぬ変化やアクセントを与えているという作品は、主材となるさまざまな色のガラス片と、表面に焼き付けられた土、金属反応で生まれる色の重なりが、作品に美しい複雑さを与えている。その姿はどこかでみたことのあるような古いものを彷彿とさせながらも、現代的で、初めて目にするという感覚を覚える人が多いだろう。 型の中の空洞に満たされたガラスの光。熊谷はそれを「喜び」のようなものだと言う。大小の壺や盃それぞれに、希望や意志のような精神的美しさを感じるのは、それが「満たされたもの」だからかもしれない。
Someone who fills the void with light.
熊谷峻のスタジオは、彼の故郷である秋田県秋田市、駅からほど近い住宅街の一角にある。同じくガラス作家である妻の境田さんとシェアするスタジオは、季節の草木が目に楽しい庭に面し、自然光の美しいガラス張りの空間だ。ここで日々の制作は行われる。 彼の作品は、蝋で作った形を石膏型に起こし、そこにガラスを溶かし入れる鋳造という手法で製作される。手捻りで作られる形はどこか歪で、それが不思議な存在感を生み出している。古道具や骨董品、文献などからインスパイアされることも多いという作品は、さまざまな国の古いものを少しづつ混ぜ合わせたような形をしている。 1000℃の窯の中で起こるガラスの対流や変化が、陶芸の窯変のように作品に表情を生み出す。ガラスを技術的にコントロールしながら、土と金属で自分自身も予期せぬ変化やアクセントを与えているという作品は、主材となるさまざまな色のガラス片と、表面に焼き付けられた土、金属反応で生まれる色の重なりが、作品に美しい複雑さを与えている。その姿はどこかでみたことのあるような古いものを彷彿とさせながらも、現代的で、初めて目にするという感覚を覚える人が多いだろう。 型の中の空洞に満たされたガラスの光。熊谷はそれを「喜び」のようなものだと言う。大小の壺や盃それぞれに、希望や意志のような精神的美しさを感じるのは、それが「満たされたもの」だからかもしれない。
People living happily together with earth and f...
やきものをはじめてから20年余になるという渡辺の、近年のものづくりは、土を掘り、薪を燃やし、陶器を作ることにとどまらない。身近な草花や、灰、松脂などをも素材とし、地球のかたちそのものを写すようなアートピースも最近の彼の作品である。それらは一見別の仕事のようにも見えるが、しかし、話を聞けば出発点はやはり土にあるのは興味深い。「植物って、土から生えた、テンポラリーな、一瞬の出来事でしょ。だけどいろんな色があって、いろんな繊維や特性があって。これを全部煮て、見える状にして並べると違いが出るんですよ。ずっとやってる"やきもの"と全く一緒で。」と彼は言う。 彼のつくる「うつわ」の制作方法は、いたって原始的で、しかし新しさを感じさせる。自然の石を砂に推し当てた凹みをうつわの型にする。そこにそっと泥を流し、焼いたもの。それは単に石のかたちのコピーとも言える、イメージの具体化ではないうつわ。「両手をすくうように合わせる動作の、自然なうつわの概念をかたちにできたら」と話す渡辺 隆之。はじめは海の砂浜でつくったというそのうつわは、飾らない、葉っぱのお皿のような存在感で、さっと茹でた菜葉や焼いただけの食材が居心地よく映える。実に無理なく、日常に寄り添う、ケの日のうつわだ。 土器からはじまったやきもの。長い歴史の中で様々な用途・技術が生まれ、多種多様な美しさが存在する現代。陶芸と出会い、陶芸家・黒田 泰蔵氏の元で働き、アジア各国を巡り、やきものとその生活文化を見てきた彼が、今いる場所でつくる「うつわ」。それはそのまま、彼の人柄と暮らしをうつした姿である。
People living happily together with earth and f...
やきものをはじめてから20年余になるという渡辺の、近年のものづくりは、土を掘り、薪を燃やし、陶器を作ることにとどまらない。身近な草花や、灰、松脂などをも素材とし、地球のかたちそのものを写すようなアートピースも最近の彼の作品である。それらは一見別の仕事のようにも見えるが、しかし、話を聞けば出発点はやはり土にあるのは興味深い。「植物って、土から生えた、テンポラリーな、一瞬の出来事でしょ。だけどいろんな色があって、いろんな繊維や特性があって。これを全部煮て、見える状にして並べると違いが出るんですよ。ずっとやってる"やきもの"と全く一緒で。」と彼は言う。 彼のつくる「うつわ」の制作方法は、いたって原始的で、しかし新しさを感じさせる。自然の石を砂に推し当てた凹みをうつわの型にする。そこにそっと泥を流し、焼いたもの。それは単に石のかたちのコピーとも言える、イメージの具体化ではないうつわ。「両手をすくうように合わせる動作の、自然なうつわの概念をかたちにできたら」と話す渡辺 隆之。はじめは海の砂浜でつくったというそのうつわは、飾らない、葉っぱのお皿のような存在感で、さっと茹でた菜葉や焼いただけの食材が居心地よく映える。実に無理なく、日常に寄り添う、ケの日のうつわだ。 土器からはじまったやきもの。長い歴史の中で様々な用途・技術が生まれ、多種多様な美しさが存在する現代。陶芸と出会い、陶芸家・黒田 泰蔵氏の元で働き、アジア各国を巡り、やきものとその生活文化を見てきた彼が、今いる場所でつくる「うつわ」。それはそのまま、彼の人柄と暮らしをうつした姿である。
Someone who crafts "qualia".
「qualia-glassworks」は、岐阜県美濃加茂市・私たちのギャラリーからほど近い、住宅街の一角の静かなエリアにある。インダストリアルな印象の工房兼住居は二階建てで、庭に面した一階がスタジオになっている。作業場には自作の道具や作業台が並び、様々な形をした鉄製の道具類、床を這うオレンジ色のコード、業務用の扇風機など、置かれているものはどれもこざっぱりと無骨なデザイン。一年中ガラスを溶かし続けているというアメリカ製の溶解炉は大きく、たくさんの量を生産することができる。 高温の炉で溶かされたガラスを竿に巻きつけ、息を吹き込み、成形する。柔らかい素材がみるみる形を変え、全身を使いリズミカルに作られていく工程は見ていて飽きない。彼女の作るものは、シンプルで飾らないものばかりだが、ごまかしの効かない技術と精度が必要なものだ。 作品のラインアップは、独立当初からあまり変化がない。そのことについてたずねると、たくさんの種類を作るよりも、良いと思うものができたら、それをどんどん作り重ねていくのが自分のやり方だと言う。同じ作業を重ねる中で、ここをほんの少し薄くするとか、広くするとか、もっとシャープにするともっと良くなる、そういうことを繰り返す方が、種類を増やすことよりも大事だと考えている、と。そう聞いて、この、非常に地味なものづくりの姿勢こそが、作品に宿る「クオリア」の核であることに気がついた。色や形を大きく変化させるのではなく、毎日制作を重ねる中で加えられる微々たる変更点の重なりが、最終的な印象の明らかな違いにつながっている。 一見プロダクトの様な均一さを持ちながら、手吹きガラス特有の柔らかな質感や、光の揺らぎ、不均等な美しさを魅せる作品。朝起きて、コップ一杯の水を飲むとき、その瞬間にささやかな美しさを添えてくれる。それは決して大きな声では主張しないけれど、使えばわかる、暮らしの中で定番になってゆく感じ。それが林 亜希子の目指す「ちょうどいい感じ」というクオリアなのだ。
Someone who crafts "qualia".
「qualia-glassworks」は、岐阜県美濃加茂市・私たちのギャラリーからほど近い、住宅街の一角の静かなエリアにある。インダストリアルな印象の工房兼住居は二階建てで、庭に面した一階がスタジオになっている。作業場には自作の道具や作業台が並び、様々な形をした鉄製の道具類、床を這うオレンジ色のコード、業務用の扇風機など、置かれているものはどれもこざっぱりと無骨なデザイン。一年中ガラスを溶かし続けているというアメリカ製の溶解炉は大きく、たくさんの量を生産することができる。 高温の炉で溶かされたガラスを竿に巻きつけ、息を吹き込み、成形する。柔らかい素材がみるみる形を変え、全身を使いリズミカルに作られていく工程は見ていて飽きない。彼女の作るものは、シンプルで飾らないものばかりだが、ごまかしの効かない技術と精度が必要なものだ。 作品のラインアップは、独立当初からあまり変化がない。そのことについてたずねると、たくさんの種類を作るよりも、良いと思うものができたら、それをどんどん作り重ねていくのが自分のやり方だと言う。同じ作業を重ねる中で、ここをほんの少し薄くするとか、広くするとか、もっとシャープにするともっと良くなる、そういうことを繰り返す方が、種類を増やすことよりも大事だと考えている、と。そう聞いて、この、非常に地味なものづくりの姿勢こそが、作品に宿る「クオリア」の核であることに気がついた。色や形を大きく変化させるのではなく、毎日制作を重ねる中で加えられる微々たる変更点の重なりが、最終的な印象の明らかな違いにつながっている。 一見プロダクトの様な均一さを持ちながら、手吹きガラス特有の柔らかな質感や、光の揺らぎ、不均等な美しさを魅せる作品。朝起きて、コップ一杯の水を飲むとき、その瞬間にささやかな美しさを添えてくれる。それは決して大きな声では主張しないけれど、使えばわかる、暮らしの中で定番になってゆく感じ。それが林 亜希子の目指す「ちょうどいい感じ」というクオリアなのだ。